大空の架け橋 6年生 第11号  2015年度 

担任: ハセット聖子  

6年生は、教科書の『やまなし』をはじめ、授業で宮沢賢治の作品をたくさん読みました。賢治の作品は、どれも想像力豊かで美しい描写が印象的です。賢治の世界をすんなり理解するのは子供たちにとって容易なことではありませんでしたが、その中から一冊お気に入りを選んで感想を書きました。一番人気は『注文の多い料理店』だったようです。 

 

           

 

『よだかの星』 ブルック 美良

 私は『よだかの星』を読んで、悲しくて複雑な気持ちになりました。私もよだかと同じような体験をしたことがあります。オーストラリアの小学校に編入した頃、私は他の人と馴染むことができず、一人だけ浮いていました。よだかはいつも自分自身を否定し、周りから精神的なダメージを受けていました。その時の私とよだかは同じ気持ちだったと思います。

 幸運にも、今の私は友達に恵まれ、楽しい日々を送っています。よだかは周りに認められず、さぞかし孤独だったと思います。よだかは最後にきれいな星になりますが、一人でかがやいて本当に幸せなのか、よだかに聞いてみたいです。

 

『注文の多い料理店』 池田 里奈

 私が宮沢賢治の数多くの本の中からこの物語について感想を書こうと思った理由は、この話しの進め方にあります。「次に何が起こるか分からない」というワクワクした感じが好きでした。

 この物語は、二匹の犬をつれて狩りにきた来た二人の紳士が、山の中でまよい、ぐうぜん見つけたレストランに入ることから始ります。そのレストランは、実は山猫のわなで、あやうく山猫に食べられそうになるところで、二匹の犬に助けられる有名な物語です。

 私はこの本を読んで考えたことがあります。まず、物語の初めに、二人の紳士が「何でも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいもんだなあ。」なんてことを言っていました。このことから、二人の紳士は動物の命を大切にしていないと思いました。だから、山猫が西洋料理店山猫軒というレストランを開いているふりをして、二人の紳士をだまして食べようと思ったのは、二人に仕返しがしたかったんだと考えました。山猫たちは、命を大事にしない二人の紳士に対して、「それはいけないことだ、こらしめてやろう。」と思って山猫軒を開いてだましたのではないかと私は思います。

 この本を読んで、私は宮沢賢治の気持ちがわかりました。それは、動物を大切にしないと仕返しがくると言うことです。だから私は動物の命を大切にしています。

 

『セロひきのゴーシュ』 池原 基海

 この物語は、活動写真館(今の映画館)でセロをひく係のゴーシュのお話です。ゴーシュは仲間の楽手の中ではいちばん下手でした。町の音楽会へ出す曲の練習でも楽長にひどくおこられて、一人になった時には泣きました。しかし、その日から家にセロを持ちかえり、毎日明け方まで練習をしました。練習の間に、いろいろな動物がやってきて、その動物のお願いに答えながら、ゴーシュはいろいろなことに気づきます。

 ぼくがこのお話で好きだったところは、たぬきの子が来たところです。たぬきの子は、小だいこの係だと言ったので、ぼくはたぬきの子が自分のおなかをたたくんだろうと思ったのに、たたいたのはセロのこまの下のところだったので、ちょっとつまらないなと思いました。でも、ゴーシュは楽しんでいたようだし、自分が二番目の糸をひくときに音がおくれるということに気づき、何が悪いのかもいっしょに考えてくれたので良かったと思いました。ゴーシュは、動物に協力してもらい毎日練習をしている間に、セロを引くことが楽しくうれしいことになったように思いました。

 毎日練習をがんばって、音楽会は大成功し、ゴーシュのがんばりが楽長や仲間にみとめられて本当によかったです。

 

『注文の多い料理店』 宮村 奏太

 二人の若いしんしが、おなかがすいたので料理店に入ります。ぼくは、へんな所に料理店があるなと思いました。玄関には西洋料理店と書いてありました。中にはドアがいっぱいありました。ドアにはそれぞれ注文が書いてありました。そのうちの一つには、「つぼの中のクリームを顔や手足にすっかりぬってください。」と書いてありました。ぼくは、なぜ料理店でクリームをぬらないといけないのかなと思いました。二人の若いしんしも不思議に思ったけどぬりました。

 本当は、このお店は二人がごはんを食べる店ではなくて、二人が山猫に食べられる店でした。でも、食べられそうになった時、二匹の犬が助けにきてくれました。ぼくは、この場面が一番好きでした。

 

                 

『注文の多い料理店』 柄本 愛育

  旅先で道に迷った二人は、頼りになる、白くまのような犬を亡くして心細かったでしょう。だから、料理店を見つけたときは、きっと美味しい物を食べて体を休められると思ったでしょう。しかし、二人はとびらに書いてある字の意味をかんちがいして店に入ってしまいました。

 ぼくは、ニガクリームを顔や体にぬる時から、なんだかおかしいなと思いました。最終的には、そのねこのような生き物に食べられそうになり、顔がまるでくしゃくしゃの紙くずのようになりました。でも、死んだはずの白くまのような犬がなぜか生き返って助けてくれました。これは現実的ではないと思いました。

 「注文の多い」と聞くと、お客さんがたくさん注文する美味しいレストランと思いますが、この料理店はその逆で、注文を出すのはレストランで、最後にそのお客さんを食べようとするおそろしい場所でした。

 ぼくは、宮沢賢治のこの代表作が大好きです。

  

『注文の多い料理店』 上中村 樹利亜

  「なんて恐ろしい話しなんだろう。」母と兄に勧められた宮沢賢治の本は、二人のハンターが山の中のレストランで動物達に食べられそうになるお話です。

 人間は生活の中で、動物を当たり前の様に殺して食べます。それは、私たちが生きていく為の食料ですが、他の食品で代替が出来ることをヴィーガンの友人から知りました。彼女がスリープオーバーに来たとき、肉を食べないと聞いて私はびっくりしました。私は肉が大好きです。でも確かに、食べられる牛や豚の気持ちを考えるとかわいそうだと思いました。誰だって食べられたくないはずです。

 私も友達を見習って、フルーツと野菜で食事をしましたが、やはり物足りなかったです。大好きな豚カツやステーキを止められそうにありません。せめて、命をいただくという気持ちを込めて、食事の前には必ずこう言っています。「いただきます。」

 

『セロひきのゴーシュ』 サング ルーベン

  宮沢賢治が書いた『セロひきのゴーシュ』を読んで、実に不思議な思いをしました。

 この話のいいところは、擬人化などが沢山使われているので、場面を想像しやすいことです。さらにわくわくする場面もありました。例えば、「トランペットはいっしょうけんめい歌っています。」の文章には、トランペットは実際に歌っていないけれど、いい音が出ていることが分かります。これは話を面白くしてくれます。 

 僕がこの本を読み始めた理由は、音楽に興味があるからです。僕が面白く感じた場面は、ゴーシュさんがセロを家で練習するときに、動物の病気を治すところです。最初ははっきりと説明していなかったから、少し疑問に思いながら読んでいたけど、最後の方は疑問が解けて内容が分かってきました。

 とても心に残った場面は、オーケストラの演奏の後に、ゴーシュさんがソロでセロを演奏したところです。なぜなら、以前はセロを弾くのが下手だったのに、ソロで演奏した時はうまかったからです。努力がみとめられる場面です。ゴーシュさんの家に患者がいっぱい来て、セロで動物の病気を治すことが練習になりました。最後に、患者を心の中で感謝したことがとてもよかったです。

 宮沢賢治がこの話で何を僕達に教えたいのかはあまり分かりません。でも、僕は「努力すればなんでもできる」ということを、宮沢賢治は言いたいのではないかと少し考えています。一番好きな本ではなかったけど、不思議な話だったので、楽しく読めました。

  

『注文の多い料理店』 稲井 樹音

  私は宮沢賢治の『注文の多い料理店』を読みました。この物語は、とても不思議でおもしろい話でした。面白かったので、あっという間に読みました。

 私は、主人公の二人が山猫軒というレストランに入って、いろんな注文をされても言われるままで、何も気がつかないなんて変だなあと思いました。私は、「つぼの中のクリームを顔や手足にすっかりぬってください。」という注文が一番変だと思いました。そんな注文をするレストランはどこにもないと思ったからです。

 紳士達は、白くまのような犬に助けてもらったおかげで、山猫に食べられずにすみました。でも、山猫を怖がっていっぺん紙くずのようになった顔だけは、東京に帰っても、お湯に入っても、もとの顔にはもどりませんでした。私は、紳士達は山の動物たちをころしていたので、このような目にあったのではないかと思いました。私は、これからも動物を大切にしたいです。

  

『やまなし』 青柳 朝陽

  宮沢賢治は童話作家詩人で有名です。その代表的な作品の一つが『やまなし』です。やまなしという果実は、熟すとヨウナシと同じようなやわらかさと味と香りがします。ゴルフボールより少し小さめです。大きさは、3センチから大きくても8センチほどです。

 ぼくは「やまなし」を読んで、とうじょうじんぶつクラムボンにきょうみをもちました。さて、クラムボンはなんでしょうか?泡は死にますか?泡ははねますか?泡は笑いますか?冷静に考えると、まずありえません。これでは、泡や光、魚やら、蟹たちにとってありふれた諸々のものをクラムボンとわけのわからない名前で呼ぶ意味の説明がつかなくなります。クラムボンはかぷかぷ笑ったということは、泡が泡をはいているということになります。それもまたありえません。ぼくはクラムボンは魚だと思います。なぜなら、魚ははねるし、死にます。そして泡もはきます。

 やまなしを読んで、いろんなむずかしいことばとか、よくわからないぶぶんが多く出てきて、すごくふしぎなだと思いました。ぼくは、日本でやまなしをいつか食べてみたいです。

 

『注文の多い料理店』 寺澤 博貴

  ぼくは『注文の多い料理店』を読みました。最初はふしぎな話だなと思いました。小さいころ、お父さんがねるまえに読んでくれました。

 一番ふしぎに思ったことは、いきなり犬たちがあわをふきながらきぜつしたところです。それから、とつぜんレストランがあらわれて、しんしたちがそこに入ったことです。レストランでは色々な注文がありました。「じゅうをおいてください。」とか「くつをぬいでください。」というのはふつうだと思いました。でも、「ふくをぬいてください。」とか「しおを体にぬってください。」と言ったときは、おそう式の後やおはかまいりの後にやるやつだと思いました。どうしてレストランでやろうんだろうと思いました。

 最後にしんしたちを山猫からたすけたのは犬でした。どうして生きているんだろうと思いました。でも、犬がかい主を助けたのは感動的でした。これがぼくのかんそうです。

 

 

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 『やまなし』 板東 龍星

  幻灯、水銀、底光り、居すくまる、かばの花、金雲母、達眼鏡、やまなし、金剛石。おまけにクラムボン。僕の知らない言葉が次から次へと出てきて、まずはこれらの言葉を調べることからスタートした。何回も読み直した。心の中で読んだり声を出して読んだり。

 僕は、クラムボンはうなぎの稚魚だと思った。僕は、かにのお兄ちゃんの気持ちになって考えてみた。弟と楽しい気分で、うれしそうに泳ぎ回るうなぎの稚魚を見ていたのに、一匹のお腹をすかせた魚のせいでぶちこわされた。

 お兄ちゃんは、弟を守らなくちゃと思った。楽しい気持ちにもどそうとした時、何かが鉄砲玉のように飛び込んできた。魚は、青くてコンパスのように黒くとがったものをもっている何かにつかまっていなくなった。きょうふで声も出ず、居すくまる二匹のかにの気持ちを色にしたら、きっと真黒だっただろう。

 そこで、二匹のかにを助けてくれるのが、お父さんかにだ。お父さんは、青いものをかわせみという鳥だと教えてくれた。自分達は食べられないから安心するように子がに達に言った。僕は「うそだ!」と思った。なぜなら、かわせみは小さなかにを食べるから。恐い思いをした子がに達がますます恐くならない様に、お父さんがうそをついたんだ。やさしいお父さんだなと思った。うそをつくのは本当はだめなことだけど、子どもたちを安心させるためのうそならついてもいいんだなと感じた。

 話は五月から十二月になった。五月の話は、ドキドキしながら読んだけれど、十二月の話はほんわかした感じで読めた。月のきれいな夜に、かにの親子はぽかぽか流れていくやまなしの後を追って行く。学校が休みの時は、たまにスペシャルで遅くまで起きていていい時がある。そんな日はすごくわくわくする。子がに達も、夜の散歩を楽しんだんだろうな。

 いいにおいのするやまなし。熟しているので、子がに達はすぐに食べたい。なのにお父さんは、もう二日すればおいしいお酒ができるから待てという。僕だったら待ちきれずに食べてしまうだろう。かにの親子は家に帰って行く。きっと、二日後にまたここへ来ようと話しながら帰って行ったんだろう。僕だったら、二日後が待ち遠しくて、ずっとしゃべりっぱなしだろうな。

 『やまなし』の話は、川の中の様子がよくわかるように、いろいろな言葉が使われている。青白い水、青く暗く鋼のよう、つぶつぶ暗いあわ、日光の黄金、あわや小さなごみからはまっすぐなかげの棒、水はサラサラ鳴り、金剛石の粉、他にもまだある。作者の宮沢賢治さんは川の中に住んでいるんじゃないかと思うくらいすごい。僕も川の中にいる気分になれた。川の中に住むかにや魚達にも、僕達人間と同じ様に日々色々なことが起っているんだなと思った。

 最後に気になることが2つある。それは、なぜ『やまなし』というタイトルなのかということと、イサドへ何をしに行くのかということだ。イサドへいく話は、僕が書いてみようかなと思っている。

  

『やまなし』 マ 草太

  ぼくは、宮沢賢治という人はすごく意味の分からない本ばかり書く人だと思いました。

例えば、『やまなし』にでてくる「クラムボン」です。ぼくたちは授業で、クラムボンとは何かということについて話し合いました。ほとんどの人は、クラムボンはクラゲだといいました。なぜかと言うと、「クラム」のところがクラゲのニックネームで、「ボン」はクラゲの体がプニュプニュしているところからきていると思ったからです。

 それから、ぼくは宮沢賢治の話には、あまり人が出て来ないことに気がつきました。ほとんどが動物です。もしかしたら、宮沢賢治は田が好きで、生き物たちに毎日会っていたからかもしれません。

 この話はあまり面白くなかったです。